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頸城区仁野分(くびきく・にのぶ)は、上越地域で最も古い生姜(ショウガ)産地と言われています。これが伝統野菜「仁野分生姜」の名の由来です。

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〒942-0224 上越市頸城区仁野分

生姜の伝来

生姜のルーツ

 生姜は、古代から熱帯アジアで栽培されてきました。原産地は、分かっていませんが、おそらくインドからマレーの熱帯アジアが原産であろうと考えられています。
 最も古い香辛料の一つで、紀元前後にはすでにヨーロッパでも知られており、13〜14世紀には貿易品として広く流通していました。中国での栽培の歴史は古く、紀元前の書物にも記録が残されています。孔子も日ごろこれを食べていた、との記載もあります。
 日本へは中国から入ってきたと考えられます。小生姜や中生姜の歴史は古く、弥生時代に導入され、日本にあった山椒(ハジカミ)に対して、クレノハジカミとかツチハジカミと呼ばれました。大生姜は江戸時代に導入されましたが、現在のように普及したのは、明治に再導入されてからです。

(以上は「家庭菜園レベルアップ教室・根菜2」鈴木健司氏執筆部分より引用)

 また、不確かな情報ですが、沖縄から奄美大島にかけては、古くから生姜の産地になっており、「卑弥呼」の時代には、中国大陸の王朝へ行くときの土産物になっていたらしい、との説もあります。「倭人」の住む地域に、生姜の産地もあったようです。ただし、倭人は、東シナ海から黄海を自分の庭のように、小舟で行き来していた海洋民族であるとの説もあります。倭人は「邪馬台国」に限らず、広範囲の国々に広がっていたようです。卑弥呼が、他国の倭人に船を操らせ、あるいは他国から土産用の生姜を取寄せ、中国大陸の王朝に使者を送ったのかも知れませんね。

生姜の生態

 熱帯原産であるため乾燥や寒さには弱く、新潟県を含め日本の多くの地域では、畑の中では越冬できません。初霜が降りる前に、全て畑から堀り起こし、寒さに会わない状態で越冬させます。奄美大島以南の亜熱帯では、畑の中で充分に育った株が、ランのような花を咲かせます。

(参考:奄美大島徳之島の生姜http://d.hatena.ne.jp/MVM/20101029/1288321093

仁野分での栽培開始

 仁野分では、ある家のご先祖で三郎右衛門さんという人が、天和三年(1683年)に京都に旅をして、近江産の根生姜を持ち帰り、自宅の屋敷畑に植えたのが、始まりと伝えられています。

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仁野分生姜生産地

〒942-0224
新潟県上越市頸城区仁野分